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その時米国が動いた11 コロンブスの航海

 

以前、こちらの記事で

www.chatesen.info


「コロンブスの時代、知識人の間では地球球体説は広く信じられていたので、西に向かえばいずれはアジアに到達できると考えた事自体はさほど不自然なことではなかった。」と書いた。一方、一般の市民や船員の間ではこの時代でも迷信が信じられていた。中でも、以下の様な迷信は船員たちに不安を与えた。

 

 

・ボハドル岬より南に進めば、海は熱湯となり、やがて海が滝のように流れ落ちている場所に到達する。
・南に行くほど気温が上がり、やがて人が焦げてしまうほどの灼熱となってしまう。

 

仮に迷信を信じなかったとしても、壊血病や嵐など、当時の航海が大きな危険を伴うものであったことは事実である。とくに壊血病は当時の船員を非常に悩ませた。壊血病はビタミンCの欠乏によって起こる病気だが、主な症状は以下のとおりである。

 

皮膚や粘膜、歯肉の出血およびそれに伴う歯の脱落、変化、これらの影響で息が臭くなる。
毛包性の過角化、螺旋状毛髪、毛包周囲の出血(出血を伴う毛包角化症)
創傷治癒の遅れ
低色素性の貧血
感染への抵抗力の減少
古傷が開く、末期になると骨折して治った骨もはがれる。
ただし、上記のように健康な人体には「500mgを切る」までのビタミンCに余裕があるので、これらの症状は3カ月から12カ月に及ぶ長期・高度のビタミンC欠乏でないと生じない。帆船時代の慢性的な壊血病は出帆前からビタミンC欠乏の生活をしていた船員に発生したものである。

「壊血病」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より。


この時代において、壊血病が船員にとっていかに危険なものであったかが分かるだろう。

 

いつまでたってもアジアに到達しない。10月6日、不安にかられた船員たちはとうとう反乱を起こす。
反乱はなんとか収まったが、10月9日、コロンブスは船員たちに「3日で陸地が見つからなければ引き返す」と約束させられることになる。

 

 

写真はバルセロナに建てられているコロンブス記念碑(コロンブス塔)である。コロンブスは西へ向かったので西に向けられているかと思ったが、実際には南南東に向けて建てられているそうである。理由はわからない。

 

コロンブスの塔

コロンブスの塔

 

 以下は現在注文中の本である。到着したらブログでも紹介しようと思う。