「3日で陸地が見つからなければ引き返す」と約束したコロンブスだが、10月11日には海は大荒れになった。それでも西へ進むと、やがて海に浮かんでいる流木やその他の植物などを見つけた。コロンブスは陸地が近いと察知し、船員たちを説得した。深夜になり、ピンタ号はとうとう陸地のようなものを見つけた。
10月12日、コロンブスたちはその島に上陸した。島の占領を宣言し、この島をサン・サルバドル島と名付けた。ここは現在の西インド諸島、バハマにあり、もちろん本物のインドではないが、コロンブスはインドに到着したものと固く信じた。この辺りを「西インド」と呼ぶこと自体、ここをコロンブスたちが本物のインドと信じてしまったことに由来する。
現代人の感覚からすれば、ここをインドと勘違いするのはあまりにおかしいと思うのだが、こちらの記事を読んで欲しい。コロンブスの計算ではインド(この場合はジパング近辺)は現在のキューバ付近にあるはずだったのだ。
サン・サルバドル島に上陸するコロンブス。コロンブスが上陸した10月12日は多くの国で記念日となっている。
サン・サルバドル島には原住民が住んでいた。コロンブスたちは出会った原住民たちにガラス玉や布を与えた。原住民たちはコロンブス達に水、食料など様々なものを渡してきた。
コロンブスはサン・サルバドル島で原住民を捕らえたうえ略奪を働く。コロンブスたちは黄金を欲していたが、サン・サルバドル島には黄金はほんの少ししかなかった。次にキューバ島を発見する。キューバの次にイスパニョーラ島を発見。
その後、サンタ・マリア号が座礁してしまったので、その残骸で要塞を作り約40名の船員を残してスペインに帰国する。
もともとコロンブスはインドのジパング(日本)へ到着することを目指していたが、実際に日本に到着していたらどうなっていただろう。1492年は日本では室町時代である。天皇は103代の後土御門天皇で明応元年である。将軍は足利義稙(あしかがよしたね)の時代だ。11年に及ぶ応仁の乱が終わっておよそ14年程度しかたっていない。武士の数も多く、実戦経験も積んでいる。しかも、諸説あるが日本の人口は約800万人、スペインの人口は約650万人。スペインよりも日本のほうが人口が多い。
コロンブスが日本に到達していたとしても、サン・サルバドル島でのような横暴な行動は全く不可能であっただろう。
話は戻るが、コロンブスは最初に陸地を見つけた船員に金貨を与えると約束していた。トリアナという船員が最初に陸地を見つけるが、彼は残念なことに金貨を受け取ることはできなかった。コロンブスが「自分が先に陸地を発見していたが、見えにくかったので皆に知らせなかった」と主張。トリアナは金貨をもらい損ねてしまった。トリアナによる島の発見はコロンブスの功績に大きく貢献したはずだが、なかなか気の毒な事件である。 そんな気の毒なトリアナに由来するワインがこちらである。