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その時米国が動いた14 世界をスペインとポルトガルで分割する条約

コロンブスが「インド」に到達したことにより、スペインとポルトガルでは航海熱がさらに加熱した。両国はいたるところで争うことになる。新世界での争いを解決するために1494年に結ばれた条約がトルデシリャス条約である。

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トルデシリャス条約

 

トルデシリャス条約では、ベルデ岬諸島の西2000kmに南北の線を引き、その東で発見された新領土をポルトガル、西側で発見された新領土をスペインに属するものと定められた。

 

この条約により、コロンブスが到達した「インド」(実際には西インド諸島)付近で発見された領土はすべてスペインに属することとされた。新世界には当然ながらすでに先住民が居住していたわけだが、彼らの権利は一切無視してスペインとポルトガルの2国に領有権を認めるという条約である。当時においてさえも、多くの批判に晒された。

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オレンジ線の西にある青いラインがトルデシリャス条約によるラインである。この線より西が スペインの勢力範囲、東がポルトガルの勢力範囲とされた。

 

コロンブスは2回目の航海で西インドにて大虐殺を行ったが、トルデシリャス条約でもスペインに属するとされていた場所であったため、まさにやりたい放題であった。

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このような所業はスペイン本国で問題となる。女王は調査委員を西インドに派遣する。コロンブスは直ちにスペインに帰還する羽目となった。

 1498年、コロンブスは3度目の航海に出る。イスパニョーラ島のサントドミンゴでは反乱が起きており、再び問題になった。コロンブスは逮捕され、サンタ・フェ契約により得ていた地位と権利を奪われる。