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その時米国が動いた20 じゃがいもがやってきた

じゃがいももまた南アメリカからやってきた作物だ。ペルー南部が原産であり、インカ帝国では盛んに栽培されていた。インカ帝国での主要な作物はとうもろこしとされていたが、それよりも重要な作物であった。インカ帝国は1533年にフランシスコ・ピサロにより滅ぼされる。その後、インカ帝国の残党は抵抗を続けるが、最終的には1572年頃に滅亡する。

Machu Picchu , the lost city of the inca empire.jpg
Esteban Garay H 氏による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる)

インカ帝国の遺跡マチュピチュ-インカ帝国の首都との関係はよくわかっていない。

 

 

じゃがいもがスペインに持ち帰られたのはこの頃だと言われている。その後、1600年頃にヨーロッパに広まる。しかし、ヨーロッパでじゃがいもが食用として普及するのはもっと後のことである。プロイセンで三十年戦争後に広まったと言われているが、三十年戦争が終わったのは1648年である。じゃがいもが食用として広まったのが1648年ごろだとすると、新大陸からスペインに渡り、食用とされるまで80年近い年数を要したことになってしまう。即座に食用として栽培されだしたとうもろこしとは著しく異なる経過だ。

スペイン料理のトルティージャにもしばしばじゃがいもが使用される。


その後、じゃがいもはヨーロッパでも非常に重要な作物となる。痩せた土地でもすぐに育ち、畑を多少踏み荒らされても収量があまり落ちない。戦争が多いヨーロッパには絶好の作物である。

じゃがいもはアイルランドでは他の地域にもまして重要な作物となった。麦と異なり、地代の対象とならず、生産した分がそのまま農民の食料となるからだ。イギリスの支配によりアイルランドは貧しい状態に置かれたが、特に貧農においてはじゃがいもはほとんど唯一の食料となった。アイルランドのじゃがいもは寒い地域でもよく育ったので、アイルランドの人口は大変増えた。

しかし、この状況はアイルランドの国民へ悲劇を招くことになる。


一般的には、同じ作物であってもさまざまな品種があるし、栽培を続けていくごとに勝手に交雑し遺伝子上の多様性が生まれる。じゃがいもの場合はどうだろう。小学生の時に理科で習ったじゃがいもの育て方を思い出してほしい。じゃがいもの種を畑にまいただろうか。じゃがいもにも花は咲くし、種もできる。でも、畑に植えるときは、小さなじゃがいもをそのまま植えるか、大きなものは切って植えたはずだ。

じゃがいもの食べる部分(畑に植える部分)は実ではなく、地下茎。茎が変化したものであり、元のじゃがいもの株と遺伝子が同じである。ということは、栽培を続けても遺伝子の多様性がほとんど発生しないということである。たまたまたくさんの芋が取れる株があったら、その種芋が集中的に植えられるという傾向もある。一説によると、アイルランドで栽培されていたじゃがいもはわずか1品種であったという

1845年から4年間に渡り、ヨーロッパ中でじゃがいもの疫病が発生した。遺伝子上の多様性を持たないじゃがいもはあっという間に疫病に感染し、収量は激減した。
じゃがいもに依存している農民が多いアイルランドにおいてその被害は深刻であった。
しかもこの状況においてもアイルランドは国外への食料輸出をやめなかった。
アイルランドでは飢饉が発生し、多くの人々が海外へ逃れた。800万人を越えていたアイルランドの人口は400万人程度にまで減少。現在の人口は約560万人。じゃがいも飢饉の影響は現在にまで及び、人口は飢饉前をいまだに回復していない。

アイルランドから北アメリカやオーストラリアへ渡った人々の数は200万人を超えると言われる。アイルランド系の移民はアメリカで相当な数に及ぶ。これは有名な話だが、その移民の中には、あのジョン・フィッツジェラルド・ケネディの先祖も含まれていた。

  

John F. Kennedy, White House photo portrait, looking up

White House Press Office (WHPO) / Public domain

ケネディ大統領の先祖はアイルランドからの移民である。