トマトだって南アメリカからやってきた作物だ。
Alejandro Bayer Tamayo from Armenia, Colombia - Cordillera Central de los Andes colombianos - Camino nacional - 2800 msnm, CC 表示-継承 2.0, リンクによる
トマトはアンデス山脈が原産地である。アンデス山脈から種を入手したアステカ族がトマトの栽培を開始した。じゃがいもはペルーのインカ帝国で盛んに栽培されたが、トマトはアステカで栽培されていた。トマトの種をヨーロッパに持ち帰ったのはかのコルテスである。
(José Salomé Pina - [2], パブリック・ドメイン, リンクによる)
エルナン・コルテスは代表的なコンキスタドールであり、アステカ帝国を滅亡させた人物である。
コルテスはアステカ帝国を滅亡させ、アステカ文明を破壊した張本人であり、典型的なスペインのコンキスタドール(征服者)である。ろくでもない人物だが、その話はいずれ書くこととする。
トマトもじゃがいも同様、いやそれ以上に食用として広まるには長い年月を必要とする。ヨーロッパに持ち込まれた当初、トマトの影響によりさまざまな中毒症状を起こす人がいた。そのため、トマトは毒りんごと呼ばれたほどだ。ところが、これはトマトそのものの毒ではなく、トマトの酸で食器に含まれている鉛が溶け出したことによるものであった。
トマト自体には毒がないことが判明したあともなかなか普及しなかった。食用としての普及は18世紀まで待たなければならない。つまり、ヨーロッパにコルテスが持ち帰ってからおよそ200年かかったわけである。
ヨーロッパで最初にトマトを食用にしようと考えたのはイタリアの貧困層であったという。どおりでイタリアにはトマトを使った料理が多いわけだ。イタリア料理にはトマトがなければ全く成り立たないというものが結構多い。ずいぶん前にも似たようなことを書いたが例を挙げてみよう。
アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ
にんにく、唐辛子、オリーブオイルを使って作る。
判定:トマト不要
アマトリチャーナ ☓
トマトソースに玉ねぎなどを加えて作る。
判定:トマト必要
アラビアータ ☓
トマトソースに唐辛子などを加えて作る。
判定:トマト必要
プッタネスカ ☓
トマトにオリーブやアンチョビを加えて作る。
判定:トマト必要
ミートソース ☓
ひき肉、トマト、玉ねぎ、などで作る。
判定:トマト必要
マリナーラ ☓
トマトソース+オレガノなどを使う。
判定:トマト必要
マルゲリータ ☓
トマトソースとモッツァレラチーズ、バジルをつかったピザ。
判定:トマト必要
ラザニア ☓
ミートソースとベシャメルソース、チーズ、平べったいパスタ(ラザニア)を層状に重ねてオーブンで焼く。
判定:トマト必要
全然ダメである。イタリア料理はトマトなしではどうしようもないものが多い。イタリア料理におけるトマトとは日本料理における大豆のようなものだろうか。
コルテスによって新大陸から持ち帰られたトマトは以上の結果でも分かるように、イタリアにおいて食生活を激変させた。
それでも、北アメリカではトマトが食用として用いられるにはまだまだ時間がかかった。スペイン系の入植者によって北アメリカに持ち込まれた。つまり、南アメリカのアステカ(メキシコ中央部)からスペインを経てヨーロッパに渡り、その後、北アメリカに持ち込まれて普及した可能性が高い。(他の説もある)そうだとすると、ずいぶん遠回りをしたものだ。
なかなか受け入れられず、そうとうな遠回りをしてやってきた割に、トマトは北アメリカで大量に消費されることになる。そう、トマトケチャップの原料としてである。そういえば私が会ったことがあるアメリカ人はいずれも料理に大量のトマトケチャップをかけていた。
アメリカ合衆国のトマトケチャップ消費量は年間4000万リットルに及ぶという。これは世界中で他の国を圧倒している消費量である。オリンピックの水泳に使われるプールのサイズを調べてみたら、250万リットルの貯水量だった。
オリンピックのプールの16杯分ものトマトケチャップ。いったいどのくらいトマトを使っているのか想像もつかない。
ここで終わろうと思ったが、想像はつかなくとも計算は可能だ。トマトをケチャップにすると、だいたい4分の1くらいの容量になるらしい。そうすると、アメリカ合衆国はトマトケチャップ用だけで、年間1億20000万リットル分ものトマトを消費していることになる。おどろくべき消費量である。