南アメリカ大陸のほとんどの地域はスペインの植民地になるがブラジルはポルトガルの植民地であった。1500年にブラジルを発見したのもポルトガル生まれのカブラル。ブラジルという国名はこの地域に生えている染料が取れる木(パウ・ブラジル)の名前に由来する。
1493年にアレクサンドル6世が教皇子午線を設定し、その西側の地域はスペイン領に、東側の地域はポルトガル領にするという布告を出す。これはカーボベルデの西わずか100レグアの距離に引かれた境界線であり、スペインに有利である。この教皇アレクサンドル6世はスペイン出身である。
この境界線のままでは不利なポルトガルはスペインのフェルナンド2世と交渉し、境界線を西側に270リーグ移動させることに成功する。こうして1494年に結ばれたのがトルデシリャス条約。トルデシリャス条約で定められた境界線はブラジルよりも西側を通っており、これによりブラジルはポルトガルの支配地域になる。
ポルトガルの支配地域なのでブラジルではポルトガル語が使用されている。ちなみに日本は歴史上ポルトガルよりもブラジルとの交流が盛んである。そのためか日本でのポルトガル語の講座などはブラジルのポルトガル語が使用されることが多いとも言われる。私が何年か前に青山のブラジル料理店でお会いしたラジオのポルトガル語講座の先生もブラジル出身の方であった。
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