あるテレビ番組でのあるキャスターの発言について。「プラスのアピールになりかねない」という言い方をするということは、発言者が、トランプ氏が暗殺未遂事件を乗り越えたことが選挙でトランプ氏にとって有利に働くことが好ましくないと思っていることは明らかだ。それではそのままトランプ氏が暗殺されるか、政治的にダメージを受けてしまったほうがよかったとでもいうのだろうか。死者まで出ているのに、犯人の批判ではなく、狙われた人物の有利な方向に世論が動きかねないことを危惧する発言。このような発言はテロを誘発する可能性すらありそうで極めて危険だと思う。
たしかに、有権者が今度の暗殺未遂事件を生き延びたトランプ氏のことをタフで運がいい人物だと思ったり、テロに屈しない勇敢な人物だと評価したりして、選挙戦がトランプ氏の有利になる可能性は十分にある。しかしそれは危惧すべきようなことなのだろうか。
実際に、トランプ氏はすでに共和党大会にも姿を現すなど健在だし、支持者も大声援で彼を迎えた。
つまり現実には、おそらく、トランプ氏を仮に暗殺までは至らなくても、少なくとも政治的には葬りたかったであろうテロリストの思惑とは反対のことが起きたことになる。テロのあとテロリストの意図とは逆のことが起きること。それ自体は基本的には好ましいことだと思う。
テロが起きたあと、テロリストの思惑通りに事が運んだとしたら、ある意味でテロとしては成功だと言えるのではないだろうか。仮に対象者の暗殺にまでは至らなかったとしてもだ。テロによって状況を思い通りに変えることができる社会はテロの発生を助長することにならないだろうか。テロを起こしたとしても、「思い通りには世論も社会も状況も動かない」と、事件を企てようという人物に認識させることこそがテロを抑止することになると思う。
だからこそ、民主主義を大切に思うのならば、少なくとも第一報においては、テロの影響により「トランプ氏が選挙戦で有利になること≒テロリストの思惑通りにはならないこと」を危惧するのではなく、民主主義にとって非常に重要な制度である選挙そのものを暴力で妨害しようという事件が発生したことと事件を起こした人物(組織)を批判すべきであった。
たとえ、自分の政治的信条や理念に合わない人物にとって有利になろうがなるまいが、私は暴力で選挙を妨害する行為の方が民主主義に悪影響を与えることだと思うし、批判したい。ちなみに毎日新聞の報道によると、米国では今回の 暗殺未遂事件に関して、フェイスブックにテロ容認とも思われかねない以下のような書き込みがなされたようだ。
民主党のトンプソン連邦下院議員(南部ミシシッピ州選出)の事務所スタッフがフェイスブックに「次は逃さないように射撃訓練を受けてほしい」と投稿した。米メディアが報じた。
テロを誘発しかねない発言は非常に不適切である。