ハンバーグをパンで挟んだ食べ物、ハンバーガー。1900年代初頭に考案されたという説もあれば、1885年頃にはすでに登場していたという説もある。
ハンバーガーチェーンのさきがけはホワイト・キャッスルだと言われている。ホワイト・キャッスルは1921年創業。当時不衛生な環境で作られていると言われていたひき肉のイメージを変えるため、白い外観の店舗を作った。
内装にはステンレスを用いて清潔な印象を与えるようにされていた。同店のハンバーガーは小さな正方形となっていて、スライダーという名前で呼ばれている。ホワイト・キャッスルはチェーン店に成長し、ハンバーガーを米国内で普及させた。
1940年代にカリフォルニアでマクドナルド兄弟がレストランを開業した。これがマクドナルドの1号店である。
このレストランは1948年にはメニューをハンバーガーを中心とした9品目に削減。ハンバーガーをスピーディーに提供するために、工場式のハンバーガー製造方法を導入した。
マクドナルド兄弟のレストランは成功を収める。ある時、マクドナルド兄弟はミルクセーキメーカーを8台同時に購入する。ミルクセーキメーカーの営業員だったレイ・クロックはマクドナルド兄弟のレストランに興味を持つ。後にマクドナルド兄弟のレストランを買収したレイ・クロックによりマクドナルドは世界中に広がることになる。
日本ではハンバーガーは米軍を通じて持ち込まれた。日本で初めてのチェーン店はアメリカ統治下アメリカ統治下の沖縄に進出したA&Wだが、日本国内に広くハンバーガーを普及させたのは、やはり日本マクドナルドである。
日本マクドナルドの事実上の創業者である藤田田氏はマクドナルドを日本人に馴染みやすくするために様々な工夫を行った。例えば、よく、「海外ではマクドナルドという発音では通じない」などと耳にする。元々、日本マクドナルドの設立準備中には英語での発音に近い「マクダーナルズ」のカタカナ表記が用いられていたという。藤田氏はそれを日本語でのリズムが良い「3・3」の韻を踏むように、また看板にした時のバランスがいいように変更するよう指示した。こうして「McDonald’s」のカタカナ表記は「マクダーナルズ」から「マクドナルド」に変更になった。ほとんどの日本人にとって3文字ごとに韻を踏む「マクドナルド」の方が、韻を踏まない「マクダーナルズ」より圧倒的に覚えやすいだろう。「マクドナルド」という表記は英語圏で通じるとか通じないとか、そういう誰でも思いつくような次元のことではなく、非常によく考えられた表記だったのである。
また、日本マクドナルドの1号店は銀座三越にオープンした。これはアメリカとは対照的だ。アメリカのマクドナルドはドライブインのように車で出かける場所に出店していることが多い。事実、アメリカのマクドナルドの売上の約6割はドライブスルーによるものだそうだ。そうした経緯もあり、アメリカのマクドナルドは日本マクドナルドの1号店を湘南のような自動車で出かける場所に開店することを提案してきたという。
しかし、「銀座のユダヤ人」の異名を持つ藤田氏にとって、日本における舶来文化の発信地は銀座でなければならなかった。当時、銀座は若者が集まる流行に敏感な街であり、「銀座で流行っている」ものであることが、全国で商売をする上で非常に有利であることを藤田氏は身をもって知っていたのである。銀座のブランド力はよくも悪くもブランド大好きな日本人には非常に有効に作用した。
日本マクドナルドの成功にあやかろうとしているのか、現在でも、日本でチェーン展開を目指す店の1号店が銀座に置かれることは多い。
日本マクドナルドは日本の外食産業売上1位になったこともあり、1990年には山形県に出店。これにより日本の全ての都道府県への出店を達成。日本のどの都道府県でもマクドナルドのハンバーガーを食べられるようになった。ちなみに日本のハンバーガー市場におけるマクドナルドのシェアは約60%から70%。日本で消費されているハンバーガーの大部分はマクドナルドで販売されたものだ。
マクドナルドのハンバーガーパティ(ハンバーグ)は牛肉100%であると言われている。つなぎを全く使用せずに牛肉のひき肉を固めて ハンバーグにするのは難しい気がするが、先述の藤田氏によると、これはアメリカから購入した特殊な機械によって可能になったものであるという。
チキンマックナゲットの歴史は意外と浅く、アメリカでの販売開始は1983年。日本の天ぷらを参考にして開発された「TEMPULA」粉を使用して調理されているそうだ。
ハンバーガーについて書くつもりがマクドナルドのことばかり書いてしまった。ハンバーガーをすごく食べたくなってきた。マクドナルドに出かけることにしよう。
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