エーゲ海南東に位置するロードス島は以前マウソロス霊廟の回でも触れたように歴史上重要な島である。
エーゲ海の出口付近でアナトリア半島南部にも近く、重要な航路の中間に位置しているからだ。様々な勢力の争いに何度も巻き込まれた島でもある。
オリエント世界とギリシア世界を制覇したマケドニアのアレキサンダー大王(アレクサンドロス3世)。彼は紀元前323年に亡くなったが、後継者を定めなかった。そのため、大王の帝国は後継者の地位をめぐって争いが起きた。有力だったのが、エジプトを拠点としたプトレマイオス、マケドニアのアンティゴノス、中東を拠点としたセレウコスである。この戦争はディアドコイ戦争と呼ばれている。ディアドコイとは「後継者」という意味である。
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マケドニアのアレキサンダー大王はギリシア世界とオリエント世界にまたがる広大な地域を征服したが、後継者を定めずに亡くなったため後継者の地位をめぐって争いが起きてしまう。
プトレマイオスとアンティゴノスとの争いにおいて、ロードス島はプトレマイオスに協力した。アンティゴノスの息子デメトリオスがロードス島に攻め込んでくる。デメトリオスは攻城兵器を使ってロードスを攻撃。多くの都市を攻略する。
そこにエジプトからプトレマイオスの軍が到着。デメトリオスの軍は引き上げることになる。
この勝利を祝い、建設されたのがロードス島の巨像である。台座の部分を含めて50メートルに及ぶ巨大な像だ。2000年以上後に建てられた自由の女神像がおよそ46メートル(ただし台座は含まない。たいまつは含む)であることを考えるとその巨大さが分かるだろう。
地震で倒壊した後再建されなかったので、残骸すら残っておらず、どのような姿だったのかは分からないが、以下の様な姿の像だったと言われている。
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ロードス島の巨像の想像図
なお、最近の研究では台座は一つで、直立した像だったと言われているが、いずれにしても非常に高い技術と高額な費用を必要としたことは確実である。