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世界の謎と不思議の探検3 世界の七不思議(注目すべき建造物)2 マウソロス霊廟

世界の七不思議の第2回目はマウソロス霊廟について取り上げる。マウソロス霊廟はアナトリア半島(トルコのアジア部分)南西部のカリアを支配したアケメネス朝ペルシャの州知事(サトラップ)マウソロスと、その妻アルテミシアの遺体を安置した施設である。

 

Mausoleum at Halicarnassus by Ferdinand Knab (1886) cropped

{{PD-US}} – U.S. work public domain in the U.S. for unspecified reason but presumably because it was published in the U.S. before 1925.

 マウソロス霊廟の想像図

 

 

Mausoleum of Halicarnassus, Maussolus

アケメネス朝ペルシャ州アナトリア半島の州知事(サトラップ)であったマウソロス

 

州知事マウソロスはここの地域を治めるためにハリカルナッソスという首都を建設した。ハリカルナッソスには城壁や港、道路など様々な施設が整備され、首都らしい町となった。マウソロスは紀元前353年に亡くなった。その妻アルテミシアはマウソロスを葬る墓を作ることにした。

 

 

Artemisia 1915 photograph

 {{PD-US}} – U.S. work public domain in the U.S. for unspecified reason but presumably because it was published in the U.S. before 1925.

マウソロスの妻アルテミシア

 

費用には糸目をつけずギリシャから最高の建築家と有名な彫刻家などを呼び寄せた。この中で彫刻家の一人スコパスは、これもまた世界の七不思議のひとつであるエフェソスのアルテミス神殿の建設にも携わっている。建設された霊廟は36本もの柱で支えられ、屋根も巨大でその屋根自体もピラミッド型をしていると言う極めて壮麗なものであった。マウソロス霊廟はハリカルナッソスの町に長い間建っていたが、地震によって崩れてしまった。その後、15世紀に聖ヨハネ騎士団がハリカルナッソスを侵略し、城を建設した。その城を守るための資材としてマウソロス霊廟の残骸を用いた。

前回取り上げたバビロンの空中庭園と異なり、マウソロス霊廟は建てられていた場所が確実にわかっている。その廃墟のそばには現在博物館が建てられている。

余談だが、聖ヨハネ騎士団は宗教騎士団であり、聖地巡礼に訪れたキリスト教を保護するための組織であった。十字軍によってイスラム教徒から奪った地域を防衛していたが、聖地エルサレムが陥落した後はキプロスなどを経てロードス島に逃れた。そしてロードス島を本拠地とした。そのため、ロードス騎士団とも呼ばれる。塩野七生氏の『ロードス島攻防記』にはこのロードス島をイスラム勢力から防衛する戦いについて描かれている。ロードス騎士団はキリスト教の立場からすれば正義の味方のような組織だがイスラム教徒からすれば非常に迷惑な組織だった。
ロードス島はアナトリア半島南西部のすぐ沖にあるけっこう大きな島だ。ちょうど喉元に突きつけた刃のように見える。ここを根拠地としてとして、ロードス騎士団はイスラム教徒の船に対して海賊行為を働いていた。そのためロードス島はキリスト教の蛇の巣と呼ばれていた。

このヨハネ騎士団は、すでに地震によって壊れていたとはいえ、マウソロス霊廟の資材を自分たちの城の要塞化に用いた。これは彼らの異教徒の文化に対する理解のなさがなせる技なのだろうか。それとも防衛のためにやむなく資材を用いたのだろうか。

 

 

Mausoleo di alicarnasso, piano con rovine 08

 I, Sailko / CC BY-SA

現在のマウソロス霊廟の遺跡

 

 

 

 

  

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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