私立文系大学卒会社員が米国株で徐々に収入を得ながらプライベートキャンプ場を作る

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その時米国が動いた

読書水先案内 冷泉彰彦『民主党のアメリカ共和党のアメリカ』アメリカの政治について知るには良い本

日本に限らず、世界中の野党には永遠に政権を担う気がないのではないかと思うほど、単に政権批判を繰り返すだけの党が多いと感じるが、本書によると、米国の民主党はそのような党ではない点が、他国と大きく異なるという。 // また、民主党は人権思考の党で…

その時米国が動いた24 ブラジルとトルデシリャス条約

南アメリカ大陸のほとんどの地域はスペインの植民地になるがブラジルはポルトガルの植民地であった。1500年にブラジルを発見したのもポルトガル生まれのカブラル。ブラジルという国名はこの地域に生えている染料が取れる木(パウ・ブラジル)の名前に由来する。…

その時米国が動いた23 旧大陸から新大陸へサトウキビが渡った

旧大陸から新大陸へ渡ったものの一つサトウキビがある。 ただ、旧大陸とはいってもサトウキビの栽培が始まった場所はニューギニアあたりと言われており、旧大陸の作物という印象は比較的薄い。なお、サトウキビの原産地はニューギニアではなく、インドである…

その時米国が動いた22 とうがらしがやってきた

とうがらしの原産地はメキシコと言われているが、アンデス地方という説もある。またアンデスである。とうがらしも例によってコロンブスによってヨーロッパに持ち帰られた。コロンブスはとうがらしのことをペッパーと呼んだ。ペッパーとは胡椒のことである。…

その時米国が動いた21 トマトがやってきた

トマトだって南アメリカからやってきた作物だ。 Alejandro Bayer Tamayo from Armenia, Colombia - Cordillera Central de los Andes colombianos - Camino nacional - 2800 msnm, CC 表示-継承 2.0, リンクによる トマトはアンデス山脈が原産地である。アン…

その時米国が動いた20 じゃがいもがやってきた

じゃがいももまた南アメリカからやってきた作物だ。ペルー南部が原産であり、インカ帝国では盛んに栽培されていた。インカ帝国での主要な作物はとうもろこしとされていたが、それよりも重要な作物であった。インカ帝国は1533年にフランシスコ・ピサロにより…

その時米国が動いた19 とうもろこしがやってきた

とうもろこしは中米あたりが起源である。紀元前5000年頃には大規模に栽培されるようになっていたという。このころからすでに極めて重要な作物であった。マヤ文明でもアステカ文明でも主要な作物であり主食であった。 (Maunus氏による画像,パブリック・ドメイ…

その時米国が動いた18 いんげん豆がやってきた

コロンブスは新世界から様々なものを持ち帰ったが、いんげん豆もその一つだ。コロンブスは2度目の航海でいんげん豆を持ち帰った。いんげん豆というとなかなか地味な食材で、新世界からやってきたもののような気がしなかったので、いんげん豆が新世界原産だと…

その時米国が動いた17 七面鳥がやってきた

もともと新大陸にネコは存在せず、旧大陸から渡ったことはすでに書いたが、新大陸からやってきた動物、それが七面鳥である。 www.chatesen.info Jamain / CC BY-SA 七面鳥

その時米国が動いた16 旧大陸から新大陸へ猫が渡った

コロンブスによる新大陸への到達により、旧大陸と新大陸との間に交流が発生する。交流とは言っても、旧大陸側の勢力が一方的に新大陸の住民を虐げていたので、当時の新大陸の住民からしたら全く喜ばしいものではなかったが。 旧大陸から新大陸へ多くのものが…

その時米国が動いた15 アメリカと呼ばれるようになった新大陸

コロンブスは4度目の航海を企画する。2回目の時とは異なり、王からは僅かな援助しか得られなかった。1502年に出航するがパナマ周辺を探検した後に難破。救助されスペインへ帰る。帰国後、1506年にコロンブスは死去する。4回目の航海の後、スペイン王室はコロ…

その時米国が動いた14 世界をスペインとポルトガルで分割する条約

コロンブスが「インド」に到達したことにより、スペインとポルトガルでは航海熱がさらに加熱した。両国はいたるところで争うことになる。新世界での争いを解決するために1494年に結ばれた条約がトルデシリャス条約である。 トルデシリャス条約 トルデシリャ…

その時米国が動いた13 コロンブスの2度目の航海

スペインに帰還したコロンブスは大歓待を受ける。コロンブスが出航前にスペイン王室と結んでいたサンタ・フェ契約によりコロンブスは多くの戦利品を手に入れる。また、陸地を最初に発見したのは自分だと主張し、賞金も手にした。 イサベル女王に「インド」到…

その時米国が動いた12 コロンブス、「インド」へ到達

「3日で陸地が見つからなければ引き返す」と約束したコロンブスだが、10月11日には海は大荒れになった。それでも西へ進むと、やがて海に浮かんでいる流木やその他の植物などを見つけた。コロンブスは陸地が近いと察知し、船員たちを説得した。深夜になり、ピ…

その時米国が動いた11 コロンブスの航海

以前、こちらの記事で www.chatesen.info 「コロンブスの時代、知識人の間では地球球体説は広く信じられていたので、西に向かえばいずれはアジアに到達できると考えた事自体はさほど不自然なことではなかった。」と書いた。一方、一般の市民や船員の間では…

その時米国が動いた10 コロンブスの出航

1492年8月3日、コロンブスは3隻の船でパロスの港を出港した。パロスはスペインのほぼ西端の湊町である。船団はカナリア諸島まで南下し、ここで様々な物資を積み込む。ところで、コロンブス船団が用いた船はどのようなものであったのだろう。 コロンブスの船…

その時米国が動いた9 スペイン王室との契約

1491年4月、スペインはグラナダの包囲を開始する。1232年以来存続していたナスル朝グラナダ王国であったが、この頃になると領土もグラナダ周辺のみとなっていた。イベリア半島の大部分がスペイン王国の領土となり、北アフリカのイスラム国家であるエジプトの…

その時米国が動いた8 スペインへ向かうコロンブス

1484年、航海への援助を引き出そうとコロンブスは活動を開始する。 コロンブスが主張した アフリカ南端を迂回しなくても、西に進むとアジアに到達できる という説にポルトガル王ジョアン2世は興味を持った。ジョアン2世は、1481年にポルトガル国王に即位した…

その時米国が動いた7 クリストファー・コロンブスの登場

// エンリケ航海王子生誕よりおよそ半世紀、ポルトガルがアフリカ大陸西岸の南下に熱中していた頃、もう一人の主役、クリストファー・コロンブスがジェノバで生まれた。 コロンブスはリスボンに渡り、航海術や天文学、数学などを学んだ。そして思い至ったの…

その時米国が動いた6 1488年、バルトロメウ・ディアスが喜望峰を発見

エンリケ航海王子が他界したあと、1473年にはロボ・ゴンサルヴェスが赤道を通過した。1481年にジョアン2世がポルトガル王に即位した。ジョアン2世の時代になると、アフリカ南端を発見して、これをまわり、アフリカ大陸の東岸に到達し、アジアかアフリカにあ…

その時米国が動いた5 ポルトガルのアフリカ西岸探検

1437年、エンリケ航海王子はモロッコのタンジールを攻撃した。タンジールはセウタの南西の港町である。この攻撃は失敗し、イスラム勢力に撃退されてしまう。この時に弟のフェルナンド聖王子がイスラム勢力の捕虜になる。フェズ王国の君主がセウタと引き換え…

その時米国が動いた4 ボハドル岬への挑戦

エンリケ航海王子はボハドル岬周辺の探検をジル・エアネスに命じた。ジル・エアネスはポルトガルの探検家だが、探検家となる前のことはほとんどわかっていない。ジル・エアネスは1433年にカナリア諸島付近の探検を行い、ボハドル岬より離れた場所の人々を捕…

その時米国が動いた3 エンリケ航海王子の探検

エンリケ航海王子は貴族のジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコをアフリカ大陸西沿岸の探検に派遣した。1419年、ジョアンはマデイラ諸島を発見する。マデイラ諸島へのポルトガルの到達はこれが初めてである。ポルトガルはすぐにマデイラ諸島に入植し、植民地化…

その時米国が動いた2 エンリケ航海王子の野望

エンリケ航海王子はセウタ攻略の功績によりヴィゼウ公の位についた。セウタにおいてプレステ・ジョアンの伝説を聞いたと言われている。プレステ・ジョアンとは東方またはアフリカに存在すると信じられた伝説的キリスト教国の国王のことである。 イスラム勢力…

その時米国が動いた1 1415年、エンリケ航海王子がセウタを攻略

1415年、ポルトガル国王ジョアン1世の子エンリケはアフリカ北西端の都市セウタを攻略した。セウタはヨーロッパ側から見てジブラルタル海峡の対岸に位置する都市である。セウタは紀元前7世紀にフェニキア人が建設した都市で、その後、カルタゴやローマ帝国の…