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その時米国が動いた2 エンリケ航海王子の野望

エンリケ航海王子はセウタ攻略の功績によりヴィゼウ公の位についた。セウタにおいてプレステ・ジョアンの伝説を聞いたと言われている。プレステ・ジョアンとは東方またはアフリカに存在すると信じられた伝説的キリスト教国の国王のことである。

イスラム勢力に圧倒され続けたキリスト教各国にはプレステ・ジョアンの国と協力することでイスラム勢力を挟み撃ちにできると考えていた人々がいた。東方のキリスト教国というと荒唐無稽な話の気もするが、全く根拠の無い話かというとそうではない。431年に開催されたエフェソスの公会議で異端とされたネストリウス派キリスト教は、エジプトやペルシャ、中国へも伝播していた。
以前はモンゴル帝国をプレステ・ジョアンの国と考えた人々もいた。実際にはモンゴル帝国はキリスト教国でもないし、ヨーロッパ各国にとって味方でもなかったが。

 

 



さらに、エンリケ航海王子はイスラム商人の貿易を目にした。モルッカ諸島で取れる香辛料はイスラム商人の手を経ることによりとんでもない値段になっていた。ヨーロッパでの香辛料の価格はモルッカ諸島での原価の360倍に達していたのである。香辛料を安く手に入れるには、イスラム教徒を通さずに、アジアで直接買い付けることが必要だ。

プレステ・ジョアンの伝説や香辛料。これがアフリカ大陸を周り、アジアに到達する航路を開拓する原動力となった。


1416年頃、エンリケ航海王子は航路開拓を進めるため、ポルトガル最南西端のサン・ヴィセンテ岬に村を作り、造船所や航海術を学ぶための学校などを設置した。これが「王子の村」である。王子の村で蓄積された知識は地図や航海術の発展に大きく寄与することになる。

 

サン・ヴィセンテ岬

サン・ヴィセンテ岬はポルトガルの南西端である

 

   

 

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 このワインはエンリケ航海王子に由来するワインである。これはぜひ飲んでみたい。

エンリケシュ家は、ポルトガル初代国王ドン・アルフォンソ・エンリケシュに由来する由緒正しい家柄です。15世紀初め、エンリケ航海王子の命を受けた航海家ジョアン・ゴンサルベス・ザルコがマディラの小さな天然の港に入植し、初めてブドウの樹を植えたのがカマラ・デ・ロボス地域の同家の土地でした。

 

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