1415年、ポルトガル国王ジョアン1世の子エンリケはアフリカ北西端の都市セウタを攻略した。
セウタはヨーロッパ側から見てジブラルタル海峡の対岸に位置する都市である。セウタは紀元前7世紀にフェニキア人が建設した都市で、その後、カルタゴやローマ帝国の支配を経て、イスラム勢力の手に渡っていた。
エンリケ航海王子
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現在、セウタはスペインの領土となっている。
Web上で調べる限り、この当時のセウタを支配していた王朝は定かではないが、おそらく、マリーン朝、ナスル朝などの諸イスラム王朝が勢力を争っていたのではないだろうか。
この時点ではイベリア半島にイスラム勢力のナスル朝グラナダ王国が細々と存続していたし、対岸セウタもイスラム勢力に押さえられているという状況ではジブラルタル海峡を通る船の安全は確保されなかった。イスラム勢力によって貿易船が攻撃される可能性があるからだ。
ジョアン1世はセウタを攻略することにした。セウタを攻略することができれば、ジブラルタル海峡を通る船の安全が確保できる。ポルトガルの貿易拠点としても利用できる。徐々にポルトガル全土でセウタ攻略機運が高まっていった。
1415年になり、エンリケはセウタ攻略に成功する。大航海時代はここに始まる。
アメリカ独立宣言まで、あと361年である。
大航海時代を記念してポルトガルのリスボンに設置された「発見のモニュメント」。もちろん、先頭はエンリケ航海王子である。
国内においては知名度の点でフランスには劣るが、ポルトガルはワインの名産地である。ポルトガル固有の葡萄の品種は種類が非常に多い。世界一の品種数だと言われている。
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