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その時米国が動いた9 スペイン王室との契約

1491年4月、スペインはグラナダの包囲を開始する。1232年以来存続していたナスル朝グラナダ王国であったが、この頃になると領土もグラナダ周辺のみとなっていた。イベリア半島の大部分がスペイン王国の領土となり、北アフリカのイスラム国家であるエジプトのマムルーク朝やモロッコのフェズ王国との交流を阻害されていた。グラナダ王国は北アフリカの両王国に支援を要請したが得られなかった。

スペイン王国の成立により、ナスル朝グラナダ王国はマムルーク朝エジプト王国やフェズ王国との交流を大幅に阻害される

スペイン王国の成立により、ナスル朝グラナダ王国はマムルーク朝エジプト王国やフェズ王国との交流を大幅に阻害される

グラナダ国王のボアブディルは降伏を選択する。11月になり講和条約が締結される。この時結ばれたグラナダ条約は、イスラム教徒が信仰を続けられることや、これまでどおりの住居に居住できることなどが保証されている。スペイン王国は熱心なキリスト教国であるのに、意外なほど寛容な条約である。

 

グラナダ条約に基づき、1492年1月、グラナダ王国最後の国王ボアブディルはアルハンブラ宮殿を去り、北アフリカに亡命する。これにより260年近く存続したグラナダ王国は滅亡する。711年以来、781年も続いたイスラム教徒によるイベリア半島支配はここに終了。レコンキスタの完了である。

コロンブスに転機が訪れた。レコンキスタ完了によりスペイン王国の財政に余裕ができたのである。
コロンブスは王室と契約を結ぶ。これがサンタ・フェ契約である。

 

 コロンブスは発見された土地の終身提督(アルーランテ)となり、この地位は相続される。
コロンブスは発見された土地の副王(ピリレイ)及び総督(ゴベルナドール・ヘネラール)の任に就く。各地の統治者は3名の候補をコロンブスが推挙し、この中から選ばれる。
提督領から得られたすべての純益のうち10%はコロンブスの取り分とする。
提督領から得られた物品の交易において生じた紛争は、コロンブスが裁判権を持つ。
コロンブスが今後行う航海において費用の1/8をコロンブスが負担する場合、利益の1/8をコロンブスの取り分とする。

 

「クリストファー・コロンブス」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』

 

 サンタ・フェ契約は、コロンブスが航海において新しい土地を発見した場合、コロンブス自身に対して非常に大きな利益をもたらす内容となっていたのである。

 

アルハンブラ宮殿はナスル朝グラナダ王国の時代に大きく拡張され、現在のような立派な宮殿となった。宮殿と呼ばれるが要塞としての機能を持っている。世界でそれほど知られていたわけではなかったという。アメリカの作家ワシントン・アーヴィングがアルハンブラ宮殿に滞在。旅行記とともにアルハンブラ宮殿周辺の伝説を集めた『アルハンブラ物語』を出版すると、世界中で有名になった。私も10年ほど前に読んだが、アルハンブラ宮殿の描写が美しいこと、数多く集められた伝説が面白く、食い入るように読んだ記憶がある。生涯のうちに一度はアルハンブラ宮殿を訪れてみたいと思った。

もし、あなたが幸運にもスペイン旅行に行けるチャンスが得られたら、アルハンブラ宮殿をぜひ訪れてほしい。その前にはワシントン・アーヴィング『アルハンブラ物語』を必ず読んで欲しい。アルハンブラ宮殿の素晴らしさを数倍感じられることだろう。

 

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アルハンブラ宮殿はグラナダの丘の上に立てられている

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アルハンブラ宮殿の名はアラビア語で「赤い城塞」を意味する言葉に由来している