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神聖ローマ帝国という国名はいつから使われたのか

神聖ローマ帝国の成立については二つの主要な説が存在する。一つは西暦800年のカール大帝の戴冠に始まるとする説、もう一つは962年のオットー1世の戴冠によるとする説である。しかし、いずれの説を取ったとしても、実際に「神聖ローマ帝国」という国号が公式に使用され始めたのは、オットー1世の戴冠から約200年後のことであり、それまでの国号は異なっていた。

カール大帝の戴冠と神聖ローマ帝国の始まり

カール大帝の戴冠は、800年クリスマスの日にローマで行われた。この時、ローマ教皇レオ3世によってカールは「ローマ人の皇帝」に戴冠された。この出来事は西ヨーロッパにおける帝国の復活を象徴するものであり、ローマ帝国の継承を意味していた。しかし、この時期に「神聖ローマ帝国」という国号は使用されておらず、カール大帝の帝国はしばしば「カロリング帝国」と呼ばれていた。

 

オットー1世の戴冠と国号の変遷

一方、962年にオットー1世がローマ教皇ヨハネス12世によって戴冠された時、彼は「ローマ皇帝」の称号を受けた。これは、カール大帝以来の伝統を継承するものであり、中世ヨーロッパにおける帝国の再興を意味していた。しかし、オットー1世の時代にも「神聖ローマ帝国」という国号はまだ使用されていなかった。実際にこの国号が公式に記録されるようになったのは、オットーの戴冠から約200年後、13世紀初頭のことである。

 

国号の変遷とその意味

「神聖ローマ帝国」という国号が使用され始めたのは、正確には1157年のフリードリヒ1世(バルバロッサ)の時代にさかのぼる。この時、教皇ハドリアヌス4世からの文書において、フリードリヒは「神聖ローマ帝国の皇帝」と呼ばれた。それまでの国号は、単に「ローマ帝国」や「ローマ皇帝」などと呼ばれていたが、これに「神聖」という形容詞が加えられることで、帝国と教皇庁との関係、またキリスト教世界におけるその特別な地位が強調された。

 

結論

神聖ローマ帝国の成立に関する議論は、カール大帝の戴冠とオットー1世の戴冠という二つの重要な出来事を中心に展開されている。しかし、国号としての「神聖ローマ帝国」が登場するのは、これらの出来事から数世紀後のことである。この遅れは、帝国の概念が時間とともに進化し、また帝国と教会の関係が変化していったことを示している。神聖ローマ帝国という国号の使用は、帝国の神聖性とキリスト教世界におけるその権威を強調するためのものであった。

 

 

 

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