コリントス同盟は、古代ギリシャの歴史において重要な政治的・軍事的同盟であり、マケドニア王国の覇権下でギリシャ諸都市が結成した連合体である。
コリントス同盟の成立
コリントス同盟は、紀元前338年から紀元前337年にかけて、マケドニア王フィリッポス2世によって設立された。この同盟は、ギリシャ諸都市を統一し、マケドニアの指導下でペルシャ帝国に対抗するための軍事力を結集する目的で作られた。
同盟の構造と機能
コリントス同盟は、ヘゲモン(指導者)、ストラテゴス(軍事指導者)、シュネドリオン(議会)、ディカスタイ(裁判官)によって統治された。各加盟国からの代表者が同盟の共通事項を管理し、平時にはプロエドロイ(議長)によって召集され、戦時にはヘゲモンによって召集された。同盟の決議は、コリントス、アテネ、デルフォイ、オリンピア、ピュドナで発行された。
同盟の影響と活動
コリントス同盟は、ギリシャ諸都市の自由と独立を保証し、ペルシャに対する共同戦線を形成した。フィリッポス2世の死後、アレクサンドロス大王はこの同盟を利用してアケメネス朝ペルシャに対する遠征を行った。同盟は、ギリシャ諸都市の間の平和を維持し、マケドニアの影響力を強化するための重要な手段となった。
同盟の終焉と歴史的意義
コリントス同盟は、紀元前322年のラミア戦争後に解散した。その後、デメトリオス1世ポリオルケテスが紀元前306年にサラミスの戦いで勝利した後、アンティゴノス1世モノフタルモスがアレクサンドロス大王の帝国の「王」の称号を得て、コリントス同盟を再建しようとしたが、最終的には失敗した。
コリントス同盟は、マケドニアの覇権の確立とギリシャ文化の拡散に大きく寄与した。この同盟は、ギリシャ諸都市が初めて単一の政治的実体の下で統一された例であり、後のヘレニズム時代の基盤を築いた。