古代ギリシャの古典期は、紀元前5世紀から4世紀にかけての時代で、アテネとスパルタを中心とした都市国家間の激しい対立と発展が見られる。この時代は、ペロポネソス戦争によって特徴づけられ、紀元前403年にアテネの敗北で終わりを迎える。しかし、古典期の終わりと共に、ギリシャ世界は新たな変革期を迎えることになる。それが、マケドニアの台頭と、その後に続くヘレニズム時代の始まりである。
マケドニアの台頭
古典期の終わりに、北方のマケドニア王国が力をつけ始める。特に重要なのは、フィリッポス2世の治世である。彼はマケドニアを強大な軍事国家に変貌させ、ギリシャの都市国家を征服する。フィリッポス2世は、紀元前338年のカイロネイアの戦いでアテネとテーバの連合軍を破り、ギリシャを事実上支配下に置く。彼の戦略と軍事組織は、息子アレクサンドロス大王に受け継がれ、後の遠征の基盤となる。
アレクサンドロス大王の東方遠征
フィリッポス2世の死後、アレクサンドロス大王が即位し、彼の治世はギリシャ文化の拡散とヘレニズム時代の幕開けを告げることになる。彼は紀元前334年から始まる一連の遠征で、ペルシャ帝国をはじめとする広大な地域を征服する。アレクサンドロス大王の遠征は、エジプト、中央アジア、インドの一部にまで及び、彼の死(紀元前323年)まで続く。彼の征服活動により、ギリシャ文化はこれまで接触のなかった地域に広がり、異なる文化との融合が進む。
ヘレニズム時代の文化と政治
アレクサンドロス大王の死後、彼の帝国はディアドコイ(後継者たち)によって分割され、数多くのヘレニスティック王国が誕生する。これらの王国は、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプト、アンティゴノス朝マケドニアなどがある。これらの王国は、しばしば互いに争いながらも、ギリシャ文化と現地文化との融合を促進し、科学、哲学、芸術、宗教の面で大きな発展を遂げる。
特に、アレクサンドリアはヘレニズム時代の文化的、学術的中心地として知られ、大図書館や博物館が設立され、多くの学者や研究者が集まる。また、エウクレイデスやアルキメデス、エラトステネスなどの学者が活躍し、数学や天文学、地理学などの分野で顕著な成果を上げる。
ヘレニズム時代は、ローマの台頭と共に徐々に終焉を迎える。紀元前146年にギリシャ本土がローマに征服され、紀元前31年のアクティウムの海戦でプトレマイオス朝エジプトが滅びると、ヘレニズム時代は終わりを告げ、ローマ帝国の時代が始まる。
このように、古代ギリシャの古典期後からヘレニズム時代にかけては、政治的、文化的に大きな変革がある。マケドニアの台頭、アレクサンドロス大王の東方遠征、そしてヘレニスティック王国の形成は、後の地中海世界と西洋文明に多大な影響を与えるのである。