ギリシャの古典期は約200年間にわたる時代で、紀元前5世紀と4世紀を中心とする。この時期は、東エーゲ海やギリシャ文化の北部地域(イオニアやマケドニアなど)がペルシャ帝国からの自立を高めた時代であり、民主主義のアテネが最盛期を迎え、第一次・第二次ペロポネソス戦争が起こり、スパルタやテーバイの覇権が確立し、そしてフィリッポス2世の下でマケドニアが強大化する。
西洋文明の初期の政治、芸術的思考(建築、彫刻)、科学的思考、劇場、文学、哲学の多くは、このギリシャ史の時期から派生しており、後のローマ帝国に強い影響を与える。
古典期は一般的に最後のアテネの僭主の転覆(紀元前510年)からアレクサンドロス大王の死(紀元前323年)まで)とされる。この時代は、ギリシャ暗黒時代と古代期に続き、ヘレニズム期に引き継がれる。
古典期は主にアテネの視点から研究される。アテネは他の古代ギリシャの都市よりも多くの物語、劇、その他の作品を残している。
アテネにおいて紀元前508年のアテネの僭主の転覆とクレイステネスの改革は重要。ギリシャ世界全体の視点から見ると、紀元前500年のイオニアの反乱、紀元前492年のペルシア戦争はかなり重要である。ギリシャは紀元前490年にペルシアに勝利する。紀元前481年から479年の第二次ペルシア戦争もペルシアの侵攻を阻止。その後、アテネを盟主としたデロス同盟が成立する。アテネの強権は同盟都市のいくつかの反乱を引き起こしてしまう。最終的にスパルタと対立。紀元前431年にペロポネソス戦争を引き起こす。両軍が消耗した後、短い平和が訪れるが、その後戦争はスパルタの有利な状況で再開される。アテネは紀元前403年に最終的に敗北。その後、スパルタにつづきテーバイが有力となるが、北方のマケドニア王国の勃興によりギリシャのポリスは徐々にその影響を受けて行くことになる。