ローマに大浴場を建設したカラカラ帝は世界史の教科書でも取り上げられており、けっこう有名な皇帝だ。
浴場がカラカラに乾いているというイメージで暗記した学生もいるだろう。カラカラ帝は209年~217年にローマ帝国に在位した皇帝である。
212年にすべての属州民にローマ市民権を与えるアントニヌス勅令を発布する。 カラカラ帝という名前なのにどうしてアントニヌス勅令なのかと疑問に思うが「カラカラ帝」の本名はマルクス・アウレリウス・セウェルス・アントニヌスであり、勅令の名は本名に由来する。
アントニヌス勅令により、それまでのローマ市民に加え、属州の自由民にもローマ市民権が与えられた。ローマでは選挙権は市民権を持つものにしか与えられていなかった。さらに市民権を持つ者は属州民税が免除されていた。すべての自由民に市民権を与えるアントニヌス勅令は多くの属州民の地位向上に繋がったと思いがちである。
もちろん一面ではそれは正しい。一方で市民権保有者のみに課されていた各種特別税や兵役などがすべての自由民に課されるようになり、新たな市民は参政権は手にしたものの、全体としての負担は増加した。
もともと属州民であっても一定期間の兵役を果たせば市民権が与えられていた。その他にも市民権を得るための幾つかの手段があった。社会的には下層に位置する者でも、兵役などの義務を果たすことで市民権を得て地位を向上させることができる=努力によって地位を向上させる事ができるという向上心の源泉ともなっていた。
ところが、すべての自由民にローマ市民権が与えられたことにより、ローマ市民権を獲得することによる地位の向上は不可能になり、格差が固定されるような状況となった。
このように、アントニヌス勅令にはローマ社会から活力を奪ってしまうという一面もあった。
カラカラ帝は弟を殺したり属州で虐殺を行ったりしたこと、略奪や暴政を盛んに行ったことなどもあり、暴君とされている。『ローマ帝国衰亡史』のエドワード・ギボンはカラカラ帝を「人類共通の敵」と呼んでいる。
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