トルコ西部の小アジアの地名にエフェソスという都市がある。アテネとほぼ同緯度の都市であり、アテネから見てエーゲ海の対岸といえばわかりやすいかもしれない。もっとも、間にエヴィア島があるため、アテネから船で直線では行けない。
このエフェソスに建設されたアルテミス神殿も世界の七不思議の一つである。
アルテミス神殿に祀られているアルテミスという女神はギリシャ神話に登場する神であり狩猟の神とされている。
エフェソスのアルテミス神殿は縦115メートル、横55メートルで、高さ18メートルの巨大な神殿だ。アルテミスはギリシア世界において広く崇められたため、神殿は各地に建設されたが、エフェソスのものが規模も壮麗さも圧倒的であったという。
紀元前700年頃に最初に建てられたが、それは破壊されたため、2度ほど建て替えられている。
{{PD-US}} – U.S. work public domain in the U.S. for unspecified reason but presumably because it was published in the U.S. before 1925.
アルテミス神殿の想像図
紀元前356年にアルテミス神殿は放火される。放火した人物はヘロストラトス。彼は有名な建物を燃やすことで自分の名前を有名しようと考えて放火したという。ろくでもない話だ。エフェソスではヘロストラトスの名を口にした者も死刑にするとし、ヘロストラトスの名を残さないようにした。それでも、歴史家テオポンポスが彼の名を記録に残したため、現在までヘロストラトスの名は残ってしまった。けっきょく、ヘロストラトスの野望は叶えられた。(お前だってさんざん書いてるじゃないかと言われそうだが、これもテオポンポスの記録の影響だ)
アレクサンドロス3世。つまり後のアレクサンダー大王は、このアルテミス神殿の火災の夜に生まれたと言われている。
火災の後アルテミス神殿は再建されその神殿は世界の七不思議のひとつとなった。
後にエフェソスの人々は大多数がキリスト教徒となった。そのため異教の神アルテミスを祀るアルテミス神殿はキリスト教徒によって完全に破壊される。
mayatomo / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)
アルテミス神殿の跡地。現在は廃墟となっている。
エフェソスの名はキリスト教の歴史において重要な事件が起きた場所だ。
エフェソスという地名を聞いて世界史を学んだ方はある重要な会議を思い出すことだろう。431年にエフェソスで開催されたエフェソスの公会議である。これは東ローマ帝国のテオドシウス2世の呼びかけによって行われた会議であり、キリスト教ネストリウス派が異端とされた公会議である。
キリスト教ネストリウス派はキリストの神性と人性を区別し、イエスキリストの母マリアが母は神の母ではないとする説を説いていたが、431年に開かれたエフェソス公会議で異端とされた。ローマ帝国内での布教が禁止されたため、帝国の東部でのみ活動したが、結局、ペルシャやインドにまで広まり、中国では景教と呼ばれ広まった。
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大秦景教流行中国碑-キリスト教ネストリウス派(景教)の教義や伝来について記した石碑である。長安で発掘された。781年に建立されたものであり、中国にはこの頃すでにキリスト教が伝わっていたことを示している。
日本にキリスト教が伝わったのは、一般的には1549年のフランシスコ=ザビエルによるものだと言われているが、この頃(奈良時代~平安時代)にはすでにキリスト教ネストリウス派が中国を経由して日本に伝わっていたという説がある。
少なくとも、キリスト教そのものは直接伝わらなかったにしても、景教の思想が伝わり、影響を与えた可能性は十分にあると思う。
明治時代に来日した英国人のゴードン夫人は真言宗と景教との関係を確信し、高野山に「大秦景教流行中国碑」のレプリカを建立した。この記念碑は現存している。