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その時米国が動いた4 ボハドル岬への挑戦

 

エンリケ航海王子はボハドル岬周辺の探検をジル・エアネスに命じた。ジル・エアネスはポルトガルの探検家だが、探検家となる前のことはほとんどわかっていない。
ジル・エアネスは1433年にカナリア諸島付近の探検を行い、ボハドル岬より離れた場所の人々を捕虜として帰ってきた。
しかし、エンリケ航海王子はこの知らせには喜ばなかった。
エンリケ航海王子はやはりボハドル岬周辺の探検を欲していたのである。

ボハドル岬周辺の探検は難しい。海も荒れている上に、陸地にはサハラ砂漠が横たわっているからだ。サハラ砂漠は言うまでもなく世界最大の砂漠である。気温が高く、水も手に入らない。

 

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ボハドル岬の東にはサハラ砂漠が広がっている

 

サハラ砂漠の位置

 

 

1434年になり、ジル・エアネスは再び航海を行った。ついにボハドル岬を超えることに成功した。岬周辺の地質や水質を調査し、証拠の品として植物を採集した。
1435年にはボハドル岬より南に240kmも進むことができた。エンリケ航海王子の挑戦により、ボハドル岬より南への航海を拒む壁が壊されたのである。

 

 

   

 


 

 

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